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​電柱の簡単な歴史

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 日本初の電柱は明治2年(1869年)東京・横浜間の電信(モ-ルス信号)用と言われています。一般への電話利用は明治22年(1889年)から、電力は明治16年(1883年)東京電燈株式会社社から始まりました。
勿論まだ木柱です。この辺はググれば詳しく出ています、昭和30年代までは電柱と言わず電信柱(デンシンバシラ)と言うのが普通でした。
 コンクリ-ト柱の最初は大正12年(1923年)函館に現存している四角いRC構造の柱です。(是非見に行きたいものです!)
欧州やその影響を受けた東南アジアの国々ではコンクリ-ト柱と云えばブロック状の四角い柱が今でも普通です。
日本で当り前の丸型コンクリ-ト柱(PC構造)は昭和26年(1951年)原宿駅に建てられたと言われています。木材の払底した時代に鉄道電化から使用が始まりました。
​因みに、鉄道型はテ-パが無いずん胴(上から下まで同じ太さ)です。
その後電話、電力と木柱に替り採用されていきますが、東西NTTの番札は明治の始まりから政府の管轄(逓信省)の下で全国同じ規定で既に付いていたのが引き継がれて来たと思われます。
それに対し電力会社は複雑怪奇な経緯を辿り今日に至ります。
多い時で全国に470から600もの電力会社が有ったと言います。水力発電での河川の水利権や鉄道会社による副業等々、それはもう戦国時代さながらです。
興味ある方は「日本最大の喧嘩」と云われる鶴見騒擾事件、「電力の鬼」と云われた松永 安左衞門などをご覧ください。
大正末期になり東京電燈、東邦電力大同電力宇治川電気日本電力の五大電力会社の時代になりますが、昭和16年(1941年)配電統制令により9配電会社と日本発送電とされます。これが9電力体制の基となって今日に至ります。電力自由化は先祖帰りなのかもしれないですね。
現在の9電力の地域分けが通常の地方区分とずれている訳がこの経緯から分かります。
例えば東電が静岡県富士川以東を事業範囲になっている経緯や木曽川水系の発電が関西電力とされているなど。
​ 写真はご存知の江ノ電です。
何故か!電車の架線柱と配電・電話の電柱が兼ねられているのです!
通常の鉄道会社ではあり得ません。昔に江ノ島電鉄が電力会社であり買収された名残りなのだと思います。
番札の「上州屋」は今も上の写真の中央に健在にオ-プンしています。
​それにしても凄い電線の本数ですね、ここの電柱はよく耐えています、
ガンバレ!!
 ということで、電力の番札名は合併を繰り返す毎に名付変えられたのが、最近の味も素っ気もないものが多くなった理由だと思います。
<参考>
関西電力 カタカナ表記+数字+E,W,S,N(東西南北)
中国電力  同上 漢字も残ってるようだ?
四国電力 ?
中部電力 数字とカナ
北陸電力  同上
九州電力  同上
東北電力 ? 横長札多い
北海道電力 二桁の6組の12文字 漢字残りありとの情報
東京電力 基本漢字表記+数字 「割」は割込みした柱
沖縄電力  同上
東西NTT 基本漢字表記+数字+R/L Rは右へ、Lは左へ
​所有者の番札が上か下かは各電力会社とNTTとの協定による。
(まだ不明が多いです、知っている方はご一報ください。) 
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